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遊べれば生きてける

  • ymss0429
  • 1月13日
  • 読了時間: 5分

更新日:1月17日

「子どもの仕事は遊ぶこと」

とはよく言ったもので、今回は改めて「遊び」の重要性について考えてみます。


先ずはじめに、私は、遊べる人はそれだけで世の中生きていけると思っています。


何事も遊び心をもてば日常に味が出る。

これは説明する必要ありませんね。


他人と遊ぶ経験を積むことが、どのように、大人になって社会で生きていくことに繋がるのか。

私の小学校時代の実体験で例えてみます。


「今日は学校のグラウンド集合ね~」

と誰かが誰か達に声をかけて、さよならします。

放課後、

声をかけられた人も、かけられなかった人も、その場にいなかった別のクラスや学年の人も学校のグラウンドに集まります。


「じゃあいつも通り缶けりしよっか?やりたい人~」

ってその場で集まった人で遊びます。


隠れたり缶を蹴ったりするのが上手い子もいれば、

ずっと隠れて出てこない子、

缶から離れず捕まえに来ない鬼、

ズルする子、

勝手に抜ける子、

色んな人がいて、

臨機応変にハンデやルールを加えて、それなりに遊ぶわけです。


時には

「お前、鬼変われ」

「あんたつまらないから一旦抜けて」

みたいなことも起き

精鋭たちのみのハイレベルゲームが行われたり


時には

度を越してイジメっぽくなったり

ケンカして解散したり

小さなグループが複数できたり

遊ばずにだらだら過ごすだけだったり


普段は、からかっている知恵遅れの仲間にも

「お前もアイス食うか」

ってなっていたし、

そいつが他のグループの奴らにイジメられてると退治しに決戦したり



そんな風に

勝つ子はずっと勝ち、負ける子はずっと負けていたって

その中でもいい塩梅に成り立っていけてたと思うんです。

「揉め事は起こさない。トラブルは解決させてから家に帰す」みたいなマニュアルがなくとも。


(遊びを通して賢くなる、ケガしない加減を覚える、情操教育等など言語化できるスキルはここでは、二の次にしておきます。)


収入や仕事の出来などの差があり、立場や優劣は生じる。


でも、それはそれでいい。


一人一人に秀でたものを無理やり与えなくても

誰でも平等に1発逆転の機会が訪れなくても

(教育は私達全員がある一定の幸福を得るために必要だという前提は肯定しています)


その中で生きていく


その歳、その時、その環境ならではの社会的経験を担うのが遊び時間(休み時間)だと捉えています。



人柄や長所で世の中やっていける人がいるのは一般的に分かりますよね。

それと同様に、

いい人じゃなくても、いるだけで大丈夫、害はない。

ってなる体験として、大人に管理されてない時間を他者と過ごすことは私の中で大事な経験でした。


ですが、

現在は、学校などの守られた、管理された、与えられた場所以外で関係性を創っていく経験が不足して(削がれて)いると感じています。


友達と遊ぶ約束するにも親同士がLINEして許可を取り合うとか…


この時代の波を変えることは難しいです。 SNS然り、些細な失敗でも、子どもでも、大事(おおごと)に巻き込み、巻き込まれるようになってしまいました。


--------

ここから先は喋った音声をまとめてもらいました

--------


そこで、

最近では、ボードゲームなどのアナログゲームが、かつて私たちが放課後の学校や公園で経験した遊びを補ってくれるのではないかと考えています。


例えば、トランプの「ババ抜き」で考えてみましょう。


ただ淡々とルール通りに遊ぶだけでは、大人はすぐに飽きてしまいます。

しかし、そこに遊び心が加わると一変します。「ここにババがあるよ」と嘘をついて駆け引きを楽しんだり、ババを引いたかのような表情を作ってみたり。

あるいは、あきらかにゲームが苦手で負けそうな子がいたら、あえてその子のババを引いてあげて場を回すなど、全体が楽しくなるように振る舞うこともあります。


こうした**「遊びの作法」は、実社会で生きていく上でのソーシャルスキルに直結します。


私自身、麻雀をすると周りの状況が気になりすぎて自分の勝ちにこだわりきれないことがありますが、それも一つの個性です。

勝ちに貪欲な人がいてもいいし、負けっぱなしの人がいてもいい。


大事なのは、「遊びが下手な人には下手なりの役割がある」**ということであり、それを含めて全員で楽しめるのが遊びの醍醐味です。


これは仕事や一人暮らし、あるいは他者と関わりながら生きていく社会生活そのものです。

遊びを通じて、多様な視点や考え方を身につけていく。それこそが、現代においてアナログゲームが育んでくれる社会性ではないでしょうか。


また、遊びには教育やスキルの向上といった側面だけでなく、もっと純粋な**「楽しさ」**があります。

最近、子どもたちが夢中で遊び、用意されたおやつを無邪気に食べ散らかし、すぐまた遊びに出ていく姿を見ました。

大人からすれば「作ってくれた人に感謝しなさい」などと考えてしまいがちですが、そうした理屈を抜きにして、ただその瞬間を贅沢に、幸せに過ごせていること自体が素晴らしいと感じたのです。


遊び下手なままだったとしても、その中で折り合いをつけて一緒に笑い合える。


遊ぶことは一緒に時間を過ごすこと。


その時、嫌な思いになっている人がいたら、心の底から満足できないと思います。

ですから、純粋に「ただ楽しむ」は結果的に全てよし!になり、その経験を重ねた子どもたちが大人になり、今度は自分たちが子どもにそんな場を提供してあげる。


遊び心と心のゆとりを持って、お互いの違いを認め合いながら循環していく世の中。そんな社会が、遊びの先にある理想の形ではないかと思っています。




遊べた時間があった、という事実が

「生きてもいい」を後ろから支えてくれる


(AIさん、筆が走り過ぎですけど、採用したのは私)

 
 
 

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